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「椅子の婦人」 不明 80号 手袋とスケッチブックは、父の時代の「ハイカラ」さと「エレガント」の理想を感じさせ、服装の時代感覚を思わせる。服の色調は、どこか着物を思わされる。スカートの曲線フォームは浮世絵に出てくる見返り美人の着物のフォームになぜか相似形のように重なってくる。タッチも浮世絵版画の線のようだ。彩色は暖かくやわらかい。何か、着物、座布団、漆工芸のような過去の美の景色が写し出される。 |
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「面を持つ女」 1979年 100号 メインテーマは、家族像に向かい、嫁がとつぐ喜びが表現されている。きつねの嫁入り、仮面をつけても、美しいという比喩。背景に嫁入り道具をつつむ唐草模様。もう失われてしまった。日本人の生活文化の心が現されている。愛情の比喩がくまなく時代背景とともに表されている。これは昭和の人々の心の表現である。暗い内面ばかりが芸術表現ではない。 |
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「静物」 1925年 4号 はじめて、油絵を手にして描いた。テーマもどことなく西洋的なセンスを思わせる。光と陰が正確に描かれている。まだ、色彩に自己思想をたくすまでになっていない。 |
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「裸女 その1」 1930年 50号 西洋古典技法を徹底して行うのが、当時の西洋画を学ぶことであった。日本画も絵具の塗り方を順序よくしないと絵具、顔料の抵抗にあう。油絵も同じで絵具の順序も身に付けて、はじめて、身体らしくなる。まだ、光と陰は意識されている。 |
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「裸体 その2」 1933年 8号 彼はまず、小さな作品で実践し、それから大作に挑戦した。何故か、もうすでに「光と陰」は意識されずに絵具の厚みで画面を構成する。もう西洋文化のもつ「光と陰」の主題はうすれ、日本文化固有のものになっていく。 |
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「裸体 その3」 1933年 195×145cm この大作は、西洋文化のヌードポーズを取りながら「光と陰」「遠近法」がない。西洋家具室内ではなく、和室のタタミにジュータンを敷き、平面的に大きく見せようとする表現力と、分厚い絵具と、漆工芸のような、文様のような地肌の中に裸体を浮き出させようとした。日本には「光と陰」「遠近法」という概念は重要でない文化である。 |
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「深田石仏(大日如来仏像)」 1934年 10号 苔むした。首の落ちた。打ち捨てられた磨崖仏(まがいぶつ)の美しさと、ヨーロッパ古典が発見したギリシア彫刻のような、日本の「美」を独自に発見した。今は国宝になっているが、戦前、戦後しばらくは、このような状態であった。今まで美と思われなかったものを掘り起こすことも芸術では重要である。 |
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「深田石仏(観音像)」 1934年 6号 日本文化は、対象をとらえる場合。「光と陰」で現象をとらえない文化である。美術学校での技法や主題は少なくなり、むしろ、何をどのように捉えるか。自分自身の固有のものになっていく。この作品ではすでに、「光と陰」は主張されない。どこからの光源か見当たらない。光は大きな主題となっていない。 |
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「深田石仏(如来仏像)」 1934年 6号 対象を忠実に再現する。写実のために色彩に独自の解釈をしない。朽ち果てようとする仏像。打ち捨てられた、誰も見向きもしない仏像に、画家は光をあてる。写実は、歴史的記録としても役にたち、重要な役割を持っている。 |
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「女」 1958年 光風会(44回出展) 50号 戦後、ようやく父は、教職につき安定した。何をどのように表現するか、探求をはじめる。もう美術学校時代は姿を消し、平面的な人物描写をどの位に豊かにするか。主題もはっきりして来る。そして、日本人のアイデンティティ(identity 正体、本質)もはっきりとしてくる。 |
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「祥子像」 1959年 30号 あいまいな光源の中に、平面的な表現の中で、どの位い、有機的な色彩、構成、解釈を探求する。人物を背景に、人物の個性、内面が総合的にボりュウームを持って表現する。戦後の西洋のアカデミズム(西洋の伝統的保守的傾向)はもう崩壊し日本独自の具象を探さねばならなかった。 |
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「婦人像 その2」 1961年 30号 明治、昭和の人々の夢と格調は、絵の中に具現される。歴史を持った、立居振舞いの着物のポーズでなく、洋装(当時は洋装もハイカラであった。)に理想を求める。戦後、和装から洋装への転換期であった。その当時のファッションが忍ばれる。それ以後モダンなファッションも変化していく時代でもあった。顔の色彩は、静物の桃の色彩と同じだ。顔の陰も同じで、緑色を使った。 |
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「船」 1961年 光風会(47回)出展作品 100号 父は海の子であった。高度成長の中、魚船、貨物船、和船など、もう二度とみることのない木造船を描いている。写実は、歴史を表現する。港の風景は、いつも落ち着く。船の動きが画面の中で、リズムとなって表現される。 |
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「船だまり」 1960年 新日展(3回) 100号 下関の港の風景。船の美しさ。鉄の船、木造船、漁師の船、など。歴史の転換の分岐点を活写した。浮世絵に出てくるような船、比喩として父は重ねる。藍染めのような水。画面の中で躍動するように、また、リズミカルに構成している。 |
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「残骸」 1946年 100号 復員して16年経つ、ようやく日本も貧しさより立ち直り、船という自分を休ませ、過去を振り返る。戦地から帰り、焼け野原であった。日本はその痛みを忘れない。残骸は、敗戦のそして、焼け野原の象徴として描いている。濁った海水。しかし、濁ったような表現にしない。着物の帯びの色のように表現する。色彩に意味を持たせる。 |
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「高原」 1964年 100号 「火の山」と同じような連作である。空は藍染めの色彩。画面を大きく3分割して、その中に川、木を点線として、斜めに走らせる。これは、西洋モダンアートと、日本古典のリズムを合体したように見える。 |
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「赤牛と女」 1966年 新日展(9回) 100号 個人所蔵 父は、農耕文化の感性を意識して捨てなかった。父は牛も家族と同然のように、娘への愛情、家族愛の主題へ向かった。牛を背景に人物を浮かび上がらせると同時に、相互の関係を豊かにする。牛の茶色が茶色の石のようなボリューム感がある。そしてススキの情感が我々に伝わってくる。 |
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「猪ノ瀬戸風景その1」 1971年 20号 この山も実に美しい。父の若い時経験した着物の文化。人々が曼陀羅のようにちりばめ浮かんでくる。あやふやな色彩をちりばめる手法と表現で感動させる。 |
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「猪ノ瀬戸風景その2」 1972年 20号 この山も「その1」のように美しい。分厚く塗られた絵具。高原の色彩、山は、まるで、お婆さんの着物の文様のようだ。帯びの色にも観える。日本人の美意識の深さの流れに父は従う。日本美の総体は、明るく美しいものである。美の流れの川は命と思う。 |
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「禎子像」 1969年 30号 父の娘を描いた作品で、父にとって最も抽象的表現に近いものだ。この時代の美術の流れの中で、アメリカ、西欧が生んだ抽象表現主義という表現形式が全盛だった。父は内心穏やかではなかったと思う。具象表現から離れることはなかった。対象の内面や、心を表現するのには、抽象表現主義は彼を満足させなかった。 |
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「人物像」 1970年 20号 この人物は何か憂いを持ったように描かれている。「光と影」を少し持った作品である。首をかしげるポーズと右より光を当てることで女性の内面を強調した。光を当てると必ず内面が強調される。父の作品の中で、光を当てるという作品は少ない。 |
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「老梅」 1973年 100号 1970年制作の「老梅」と対になっている。春の気配と空気を感じさせる作品である。父は、日本画の素養を持った世代である。日本画の色彩がある限界を持っているが、日本の洋画は、自由に絵具が使用できる。父の中に日本画と洋画を区別する、区分けする考えは重要ではなかった。画面の中で、梅の枝だが、リズムを持って躍動する。精神の活力を具現する。色彩も、歴史(着物)の比喩をちりばめる。複雑に観賞できる。 |
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「廃船のある港その1」 1973年 100号 父の若い頃からの主題の一つである。父の内面が年齢と共に色彩に投影される。今にも夕日の中に沈みそうな自己の内面が映し出されている。しかも、誇りと格調高く。海水の色彩が成熟した画家らしい。成熟した表現をするのは難しい事なのだ。このピンクの紫色は着物の色彩の比喩にもなっている。あらゆる要素が自然にまとめられている。 |
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「風景」 1973年 30号 父は海と船で人生を語る。大分県臼杵市に当時あった、小さな家屋と河口の港。今は、背景の家並みは失われて僅かな断片でしか残っていない。この風景は二度と返ってこない。我々は、今の時代に、過去の人々が造ってきた数多くの貴重な美の遺産を失っている。父はそれを良く知っており自覚的に色彩と形の中に、時代感覚と情緒を刻んでいく。友禅染めのようなたそがれを描く。 |
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「船だまり」 1974年 20号 この作品は、内面自体が描かれている。内面は時に応じて、色や形を変えて表出する。日本人の宗教哲学に育まれた父は自在に飽くこと無く表現する。不思議な事に、海水がなぜ濁らないのか?心は濁っていると思いがちだが。父はそうならない。父にはトラウマ(心の傷)がなく前向きに純粋に描く精神なのか。日本人の心のよさを感じさせる。緑の色彩は緑色の寒天を思い出させる。 |
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「杉の山猪ノ瀬戸風景」 1957年 30号 山の主題に取り組むのは、山の美しさを描くと同時に神道的感覚を持っているからではないか?山と同一化したいという感覚は父はいつも持っていた。色彩はお婆ちゃんが着ていた着物であり着物の文様と色を思い出す。山はお婆ちゃんが持っていた巾着だ。 |
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「子供と牛」 1975年 100号 この作品も又、日本の美の連続性を感じる。家族同然の農耕の牛、納屋、牛糞、暗い泥壁、堆肥。。。などむせぶような農耕文化をかもし出す。これは決して肉牛の牛ではない。子供と牛はずっと昔よりのテーマであった。私は牛の背景のような色と文様の布団で寝ていた。座布団、掛軸の布、仏壇に置かれている敷布、などを連想する。この単語の連想は、歴史の美と夢の世界だ。曼陀羅である。 |
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「櫻島風景」 1976年 50号 具象の風景を描きながら、内的な風景はより、自由自在に単純化され表現する。精神は単純化されていく。この桜島シリーズは繰り返し描かれている。内面を表出するのに、これだという一つのものはない。より純化された過程を見ることが出来る。鑑賞する側からみるより豊かに心の動きというものをみせてくれる。 |
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「婦人像」 1977年 50号 父は、身の回り、日常の人物母に目を凝らす。老境夫婦で画を描くという作品である。それゆえに初期の作品にもスケッチブックを持たせたポーズを描いている。主題はずっと同じである。背景の絵も二人して描き続けた。父の感謝の気持ちが有ったのであろか。 |
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「画室にて」 1977年 光風会(63回) 80号 1997年の婦人像と同じで母の表情が充実し明るく描いている。背景はその為に寒色によって引き立てているように見える。 |
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「女(T嬢)」 1978年 50号 父の元生徒を、嫁ぐ前の祝福として、描がいた作品である。背景のピンクはお祝いの色。結婚式の引き出物に使う、風呂敷の色。色が目出度いという格調高い象徴となっている。これが我々の文化であった。服の柄の色は「お能」に出てくる服装のようだ。父は色で我々の文化を語る。もうそれは失いそうだ。 |
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「傘の下」 1979年 光風会(64回) 80号 これは、母、娘、孫の家族の一体化を構成した作品である。全て祝福の願いを込めた永遠のテーマだ。一本の樹木のように下方より上方にかけて寒色系より若葉(傘)となっている。このようにすくすくと育ってくれと幸せの願いが見事に表現されている。背景のピンク色は祝福と永遠の比喩として、描いている。群像を描きながらいろんな意味と願いを込めた代表作になっている。 |
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「風景(鶴見山を望む)」 1979年 30号 太陽に照らされた山、里山と海を描いている。いわば、海と山に抱かれた農村を主題にしている。表現は色彩を可能な限り省略し、色彩で「光と陰」(ブルー)を、デッサン力で造型し、力強く表現した。 |
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「風景」 1979年 30号 晩年になってくるとブルー、紺色のトーンが主になている。ブルーは透明性がある。他の色彩は、茶色、白色、黄土色、黄緑が配されている。心の安らぎ、静さ、不動性、孤高性が核になっている。風景、風土、環境がもう一度読み直されている。 |
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「山湖」 1976年 50号 風景を遠景にする事で、自然と自己が関係づけられる。その事によって、内的な秩序と調和を確実にする。これが、晩年の心の調和を反映している。 |
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「船影」 1980年 光風会(66回) 80号 船の実在と虚像が無意識のうちに、あの世とこの世が安定性を持って描かれている。心の幻影と幻想が確かなものとして描かれている。精神のバランスと調和が実に見事である。山も澄みきっている。 |
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「女と乳牛」 1980年 改組日展 100号 死の一年前。成長した我が娘を着実に確かめる。自立した娘。がっしりとした構成。不動性を描写する。これが家族像の最後になる。次の時代に来たいという安らかな、しかし、確実な、意志力で表現している。 |
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「春近し」 1981年 80号 絶筆 これは、絶筆となった作品で、父はガンで死の予感はあったに違いない。何でもない家と冬の田んぼ。その中に父は真理を観る。枯れた草、ワラ、土手、樹木は、父自身なのだ。しかし、それらは、芽吹き、春の気配が感じ取られる。タイトルも「春近し」であった。このように、風景を内的に結びつける画家は少ないのではなかろうか?これが昭和に生きた人々の心でもある。 |
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「扇山を望む」 1965年 30号 洋画の風景の主題は、父の中、水墨画のようなものと重なるのではないか?大きな山、小さな家屋、海(湖)は洋画に描かれた水墨画である。近代の洋画は、自由に歴史や対象を解釈。変形(デフォルメ)近代的構成したものが特徴ではないかと思う。自由に描いても、いつも歴史、文化にとらえられる。 |